野生動物を取り巻く状況
法律の推移
野生動物の狩猟や管理についての法律は、明治6年に施行された「鳥獣猟規則の制定」が最初です。当初は猟銃の免許制、狩猟期間などについての規制でしたが、時代が下るにつれ、猟具や保護鳥獣の指定、狩猟できる鳥獣の指定などが整備されていきます。昭和38年には現在の鳥獣保護法の骨格が整備されます。平成11年に「特定鳥獣保護管理計画制度」が創設され、これ以降、都道府県の鳥獣保護事業計画にもとづいて野生動物の管理が行われることになりました。
明治時代には鳥獣の保護といった概念もなく、狩猟していい鳥獣の指定もなかったため、肉のみならず毛皮などの需要もあり、絶滅寸前になるほど生息数を減らした動物は数多くいました。有害動物指定にされ、報奨金が高額だったことから絶滅してしまったニホンオオカミや、軍への毛皮の供出などに利用されたニホンカワウソなど、当時の野生動物に対する意識の低さが悔やまれます。
また、昨今農産物や森林資源にたいして莫大な被害をもたらしている鹿については、肉や毛皮を利用するため、戦後大きく数量を減らしました。当時、絶滅が危惧されたため、雌鹿は狩猟禁止、牡鹿は一日一頭しか撃ってはいけないなどの過保護な、場当たり的と言ってもいい政策が取られました。その結果が個体数が激増と現在の農林業被害に繋がっていることは否めません。これは鳥獣保護法が野生動物管理という側面をあまり持っていなかったことが原因とも言えます。
農業・林業被害が無視できなくなってきた平成19年12月に、議員立法で「鳥獣被害防止特措法(農水省)」が成立しました。これにより「鳥獣被害対策実施隊」を設置し、有害鳥獣に対しての対策がようやく取られることになりました。平成27年5月には、それまでの「保護を目的とした法律」から、より積極的な野生動物管理という主旨を盛り込んだ「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」(改正鳥獣保護法)が施行され、現在に至ります。
ハンターの減少と高齢化
戦中戦後の食糧難の時代には、食肉の獲得以外に毛皮などの天然資源の需要もあり、野生動物を狩猟することは金銭的なメリットがかなりありました。また、高度経済成長期には生業としてではなく、ステイタスとしてのスポーツハンティングを行う層が増え、空前の狩猟ブームを迎えました。昭和45年当時の全国の狩猟免許所持者は約53万人で、ほとんどが散弾銃及びライフル(第一種銃猟)の所持者です。また、そのうちの40万人強が20代から40代という若者たちでした。
しかし、40年後の平成22年には、全国の狩猟者数は約19万人に減少しており、そのうちの約63%が60歳以上の高齢者になっています。狩猟免許所持者の内訳を見ると、第一種銃猟所持者は11.7万人と急激に減少しています。主に駆除を目的としたわな猟所持者が7万人弱に増えていることが特徴です。現在の日本のハンターは、農業や林業同様、若年層の参入はほとんどなく、高齢化が懸念されています。
これは食生活が豊かになったことと合わせ、「殺生」を嫌う若者が増えたこと、また銃所持に対してのマイナスイメージなど複数の理由が考えられます。このようなハンターの減少傾向に伴い、野生動物の被害が増大したこともあり、国や自治体では狩猟者を増やし、捕獲の新たな担い手についての対策を実施し始めています。そのひとつが平成27年の改正鳥獣保護法で新たに定められた「認定鳥獣捕獲事業者制度」です。
この制度により、野生動物の駆除が事業化され、生業としての狩猟者が増えていくことが期待されていますが、「鳥獣被害防止特措法」における「鳥獣被害対策実施隊」との整合性は現時点では整備はされていません。ハンターの後継者問題は、第一次産業従事者の高齢化による担い手の減少と同じく、昨今大きな問題となっています。
鳥獣被害の実際
年間200億円にも上る農業被害額
野生鳥獣による農業被害額は近年200億前後で推移しており、平成22年には269億円にもなりました。主な被害は鹿と猪によるもので、ついでサル、またカラスなどによるものも多く見られます。農村部ではこれらの被害はかなり以前から深刻なものとされており、とりいそぎの対策として電気柵の設置などが行われていますが、あまり効果を上げていません。設置した電柵のメンテナンスなどで、農業者の金銭面での負担もかなりなものになります。
このように、野生動物による農業被害が深刻になった原因は、農業の高齢化や農村の過疎化により耕作放棄地が増えたこと、ハンターの減少で狩猟による個体数の調整がなくなったこと、温暖化により冬季の凍死・餓死数が激減したことなどによる個体数の増加が挙げられています。
例えば、耕作放棄された棚田で猪が繁殖しているなどの報告があります。独特の景観を持つ棚田は美しいものですが、コメの単価が下がり小面積での栽培が儲からなくなるにつれ耕作放棄される山間地の棚田も多くあります。棚田は楔のように山に食い込んだ中途半端に開発された土地とも言えますが、これが猪のヌタ場となっていることが知られています。結果として野生動物の生息域が人間の住む地域と交わることになり、被害が深刻化しています。
農業だけにとどまらない森林被害
野生動物による被害は農業関係だけではありません。実は森林においても被害額が年々増加しています。主な被害は鹿によるもので、年間5000から7000ヘクタールにも及びます。
具体的な被害は冬季のエサ不足による鹿の樹木の皮剥ぎです。皮を剥がれた樹木は枯れ、国定公園の天然林がほとんど枯れてしまい、荒涼とした荒れ地になってしまうなどの被害が報告されています。また、樹皮ははがなくても、森林の下草を全部食べてしまうことで植物の生態系が破壊され、特定の植物(鹿が嫌う植物)のみが繁殖している森なども存在します。尾瀬の湿原の鹿の被害も大きな問題になっています。
鹿が山の木々や草などの資源を食べ尽くした結果、食べるものがなくなった野生動物が人里へ降りてきて人間に被害を与えるなどの事故にもつながっています。天然林の被害のみならず、植林された幼木の食害など、林業への深刻な影響も見られ、早急な対策が必要となっています。
狩猟圧という考え方
前項でも少し触れたとおり、過去の野生動物は適切な管理がされて来たとは言えず、場当たり的な保護政策が行われ、さらに個体数管理もきちんとできていたとは言えない状況でした。とくに鹿は、雌鹿が繁殖年齢になると一年に1.2頭出産することで、数年後に爆発的に増加することが知られています。
北海道の例では冬季に食べものがなくなることで鹿は餓死するか、その寒さで弱い個体は凍死しており、越冬地でもある湖岸には鹿の死体が累々と連なっていたと言われます。昨今の温暖化で北海道でも鹿はかなりの個体が越冬できるようになりました。また、猟期においては、禁猟区である国立公園内に入り込み、豊かな自然を破壊しています。
鹿の増加には温暖化という側面もありますが、狩猟されなくなったという事実を見る必要があります。高齢になったハンターは狩猟に出かける頻度が減少します。冬になると毎日出かけていた人が一週間に一度になってしまえば、確実に撃つ鹿の数は減少します。その結果、狩猟圧が減少し個体数の調整が全く効かなくなっているのが現状ではないでしょうか。北海道では、駆除期間中に国立公園で相当数の鹿を駆除していますが、減少傾向はほとんど見られていません。自然界で鹿を捕食する動物、オオカミがすでに絶滅してしまった現在の日本では、個体数の調整は人間が行うしかありません。ハンターの育成が喫緊の課題とも言えるでしょう。
野生動物と日本人
古来より日本人は肉を食べていた?
「日本人は肉を食べる習慣がなかった」と考えている人は多いと思います。仏教伝来により肉食は禁忌となりケガレにつながることから、明治時代まで獣肉を食べていなかったと学校でも教わったような気がします。果たしてほんとうにそうだったのでしょうか? 少し考えてみたいと思います。
肉を食べていなかったと言われている根拠は、675年の天武天皇の勅令でしょう。「庚寅詔諸國曰 自今以後 制諸漁獵者 莫造檻 及施機槍等類 亦四月朔以後 九月三十日以前 莫置比滿沙伎理梁 且莫食牛 馬 犬 猿 鶏之肉 以外不在禁例 若有犯者罪之」というもので、肉に関する部分として「4月1日から9月30日まで牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べてはいけない」と書かれています。食べてはいけないのは人間にとって有用な動物のみで、しかも農繁期の間と定められており、さらに鹿と猪については禁止されていませんでした。10月1日以降は食べてはいけないとされていたこれらの肉が食べられていたのかどうか、それは推測するしかありませんがおそらく食べていたでしょう。 この勅令後、明治になるまで公には肉食は認められていなかったようです。しかしそれらの禁忌は貴族や僧侶、武士などの上流階級に限られており、一般庶民は意外と肉食を楽しんでいたと考えられています。
ももんじ屋と薬食い
江戸時代後期になると野生動物の肉はなかば公然と売られ、また食べられており、肉を扱う店のことは「ももんじ屋」と呼ばれていました。肉食は俗に「薬食い」と呼ばれるもので、猪肉は山鯨(やまくじら)、鹿肉は紅葉(もみじ)などと呼ばれ、親しまれていたようです。 建前上は禁止だけれども実際にはその限りではない、というのは日本人が得意とするところで、例えば5代将軍・徳川綱吉の時代に「野菜初物禁止令」という、ナスやたけのこを早く出荷することを禁止するお触れが出されています。このお触れは、農家がコメや麦などの基幹作物よりも、高く売れる初物栽培に熱中したことから出されたと言われていますが、現実にはほとんど守られず、その後、何度も何度もお触れが出されています。建前上はお上のいうことを守っているようで実は全く守らない、したたかな農民のようすが想像できます。 肉食禁止についても同様で、守っている風を装いながら必要に応じて狩をしたり食べたりしていたのではないでしょうか。
昔からあった鹿猪の駆除
さて、当時はわな猟が主だったのかというとそうでもなく、農村部でも鉄砲による狩猟が行われていたようです。また、領主に提出した「鹿の駆除」「猪の駆除」のため銃を使用したい等の嘆願書も現存しています。
『1870年(明治3年)明治政府がそれまで幕府や藩は農民に貸し与えていた鉄砲を回収したが、その数は実に150万挺であったという』(『狩猟学』朝倉書店刊)
鹿・猪による農産物への被害はかなり大きかったようで、主に西日本で「シシ垣」という鹿・猪よけの石垣がかなりの長さにわたって作られており、当時の被害の深刻さと農民の怒りが想像できます。猪の被害が原因になった飢饉もあったと言いますから、これらの野生動物は生活を脅かす存在であったとも言えるでしょう。
もちろん、駆除した鹿や猪の肉は食べ、毛皮の利用も行われていたでしょう。野生動物は、日本人にとって余すところなく使える天然の資源でもありました。そして、牛や豚よりも身近な肉でもあったと言えます。
晩御飯のおかずから特別な料理へ
昭和に入ってからも、とくに農村部では野生動物の肉はひんぱんに食卓に上り、ごちそうとして子どもたちを喜ばせていました。すき焼きの肉がウサギだったというような話はよく聞きます。
養豚や養鶏技術が確立され、効率よく大量に肉が生産ができるようになり、道路が整備され物流網が発達し、品質を維持したまま肉が流通できるようになると、庶民にも牛豚鶏の肉がじゅうぶんに行き渡るようになりました。それと同時に野生動物の肉は特別なものになっていきました。
ムリに狩猟しなくてもお店に行けばお肉が買える。こんなに便利なことはありません。病気になったときにしか食べられなかった肉が、一般庶民の食卓に並ぶようになるにはそれほど時間はかかりませんでした。戦後、安価な輸入穀物を飼料にして、牛豚鶏を効率よく早く太らせ、大量の肉にするしくみが作られました。そして、手間がかかり品質が安定しない野生動物の肉は、急速にその輝きを失っていきました。
いつしか野生動物の肉は一般庶民から遠い存在となり、「ジビエ」と呼ばれ、レストランで食べる付加価値商品になってしまいました。日本人が豊かになり、食卓にさまざまな料理が並ぶようになると、わざわざ野生動物を狩る必要はない等の考えを持つ人たちも現れます。殺生を嫌がる風潮もあり、ハンターの数も減少の一途をたどっています。
現在の野生動物被害のタネは、日本が豊かになっていく過程でまかれたと言ってもいいでしょう。そのタネは、社会の変容によって芽吹き、現在ではかなりの大木になりつつあります。その木を切り倒すことができるかどうか。ハンターを増やし組織的な駆除を行うという対策はまだ始まったばかりです。その取組を側面からフォローするのが野生動物の肉を「食べる」という行為なのです。
資源としての野生動物
「自然の息吹を取り入れる」ジビエ
秋は実りの季節。次世代を残すため、山や森では木の実や果実をいっせいに実らせます。そして人の住む里にも豊かな実りが訪れます。寒い冬に備え、自然が生きものに与えてくれた貴重な食料です。
日本の場合はとくに、暑い夏で疲れたからだに、穀類やイモ類などの炭水化物や果実のビタミン類はとてもうれしいもの。「食欲の秋」と言われるとおりついつい食べ過ぎてしまいます。日々の食べものが生死を決める野生動物にとっては、長い冬を乗りきれるかどうかはこの秋に食べるものにかかっているわけですから、できるだけたくさん果実や木の実を食べて脂肪を溜め込まなくてはなりません。結果として野生動物は肥え太り、夏のくたびれた動物とは全く違う生きものになります。この肥え太った野生動物の生命をいただくのがいわゆる「ジビエ」です。
過酷な自然環境のなかで暮らしている野生動物は、怪我をしたり病気になったりすると生き延びることができません。生まれた時点で弱い個体は淘汰されていますから、森や山で暮らしている野生動物は、ある意味、難関を乗り越えてきた生命力あふれる存在とも言えます。その自然のままの肉、エネルギーあふれる肉を食べ、厳しい冬に備えることは、人にとってはとても理にかなったこと。欧米ではジビエを「自然の息吹を取り入れる」存在としてとらえています。家畜の肉には旬はありませんが、秋の野生動物はまさに「旬の肉」とも言えるのです。
ジビエブームの不安材料
昨今、野生動物の農業・林業における被害が深刻化し、野生動物の管理が国をあげての課題となっています。ハンターの育成なども課題のひとつです。趣味のハンターは多く存在していますが、ではハンターを生業としていけるかというとかなり難しいのが現状です。これは今後の課題とも言えるでしょう。
そういうこともあり、猪鹿被害で困っている自治体では野生動物の肉を「積極的に資源として活用しよう」とさまざまな取組が行われています。十数年前には鹿肉を食べることがニュースで報じたりされることはありませんでした。しかし昨今、メディアでもジビエは大きく取り扱われ、ジビエがブームになっているようです。歓迎すべきことではありますが、これを一過性で終わらせないために、肉が安定的に供給できることももちろんですが、まず衛生管理がきちんと行われた品質のいいものを流通させること、事故などが起きないことが非常に重要になっています。
ブームの波に乗り「儲かるからジビエ肉を取り扱ってみた」というような、ジビエの取り扱いに詳しくない業者が跋扈しているのも現状です。きちんと衛生的に管理されている家畜でも肝炎やO-157などのリスクはあるものですが、とくに野生動物には寄生虫やウイルスなどのリスクが高く、衛生面では非常に気を使う必要があります。また、血抜きの処理や解体などで適切な処理を行わないと、血のニオイが残った肉になる等の懸念もあります。せっかくレストランでジビエを食べてニオイのきつい肉が供されたら、次からは敬遠されることもあるでしょう。また衛生管理が失敗すれば、食中毒などの事故の原因ともなります。
ジビエは薬剤など使われていない、自然の木の実や果実を食べて育った天然の肉とも言えます。とくに鹿は高タンパク低脂肪で鉄分が豊富なため、健康が気になる世代の方や女性におすすめです。適切な処理を行われた肉が安定的に供給されることが、今後の重要な課題です。
全日本ジビエ協会はこの課題にむけて、さまざまなご提案をしていこうと考えています。